2010年10月08日

生涯学習の会をご案内

沖縄南部から、生涯学習の会の方々49名様が、今帰仁城跡に訪れました。予約でのご案内なので、2名が待機します。
ご年配のかたがほとんどなので、中にはゆっくり回りたい方もおられます。ゆっくり組と健脚組に分かれてご案内を開始。

ゆっくり組から出発しました。ポイントをしぼってご案内していきます。沖縄の方ばかりなので、ご案内の内容も皆さんの反応をみながら、臨機応変に。

参道階段は長いので、途中で立ち止まり、旧道のご案内を。
旧道は敵兵が入り込んでも、容易に上まで上がれないように、くふうがされています。一人だけが通れる幅、石ごろ道で歩きにくい、そんな道なのです。旧道は、参道の右側に当時のままの姿が残っています。

志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の歌碑の話をしている方がおられましたので、志慶真乙樽の歌碑をご案内。琉歌を読むのは県外出身者の私には不得手なのですが。

歌碑の奥は、かつては、北殿があったところ。北殿と南殿が、庭をはさんで相対して建っていたといわれていますが、まだ、正確なことがはっきりわかっていません。
1609年の薩摩軍による侵略、琉球侵攻で焼き討ちに逢って、その後廃城になり、400年以上、建物がない状態が続いてきたのです。

IMG_1936-500.jpg
写真は御内原からのながめ。当日の撮影ではありませんが。

御内原(うーちばる)で海をながめながら、次のご案内。
馬を食べたの?との質問が出たので、発掘された骨は、馬、牛、イノシシ、ジュゴンなどです。とご説明。
馬は中国に献上する献上品だったことが、中国の記録からわかっています。

献上品には硫黄もありました。火薬の原料が琉球で採れたとは、興味深いことです。ただし、北部では採掘できないので、どのように産地から運んだのか、いまだにわかっていません。硫黄の置き場がなければならないのですが、それらしい地名などもないようです。那覇のほうには、硫黄グスクがあるのですが。

硫黄を中山(ちゅうざん)から買っていた?のかもしれませんね。
進貢船を出すときは、中山と一緒に行ったともいわれています。北山(正確には山北)と中山の間柄はどのようのものだったのでしょうか?三山の戦国時代だったのですが、朝貢は協力してやっていた?ここは、よくわからない点ですね。

さて、そのまま、下ればよかったのですが、主郭へ行きました。
主郭への出入りは、仮設のスロープです。足もとが悪いので、足の達者でない方々には、ちょっときつかったのです。
すみませんでした。大いに反省!

主郭は多くの案内ポイントがありますが、時には割愛することも必要です。
posted by gusukutarou at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ガイド日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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