2011年11月04日

今帰仁城跡発掘の成果が新聞トップ記事に

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復元直後の高官住居跡

今帰仁城跡の発掘調査による新たな発見が、沖縄タイムスのトップ記事に掲載されました。

外郭とよばれる部分の発掘調査により、1600年代後半の高級陶磁器が多数でてきました。1609年の薩摩軍の襲来によって、今帰仁城は焼き討ちにされ、廃城に追い込まれたとされていました。

1600年代後半の高級陶磁器があったということは、外郭に高官が住んでいたということになります。高官とは誰でしょうか?まず考えられるのは、監守です。監守は首里城から派遣された、尚昭威(尚真王の三男)一族です。

薩摩軍の襲来のとき、5世克祉は死亡し、6世は城下におりて集落内に住んでいた、とされてきました。ところが、発掘調査により、監守6世は城内の外郭に住んでいた可能性が高くなりました。

今帰仁城は薩摩以後も機能していた可能性もあるわけで、今までの通説をくつがえす新発見なのです。

以下は沖縄タイムスより引用です。2011年10月31日版ですが、現在は見ることが出来ません。 

 【今帰仁】薩摩侵攻で廃虚化したとされていた今帰仁城跡(今帰仁村今泊)で、その後約半世紀近く身分の高い人物が生活していた痕跡があることが、同村教育委員会の発掘調査で判明した。1609年の薩摩侵攻で同城は焼き払われたとされるが、1600年代半ばのものとみられる陶磁器が大量に出土した。また、これまで不明だった外郭城壁の全体像も、同調査で明らかになった。同村教委は「通説が変わる可能性がある」としており、専門家も「周辺集落の当時の様子を含めて解明していく画期的な発見」と評価した。(浦崎直己)

 同城跡の発掘調査は2007年に本格的に始まり、今回は09年以降の発掘調査で外郭西側城壁、建物の基盤となる基壇、炉跡などを確認した。新たに発掘された出土品は、1600年代半ばに制作された肥前陶磁や湧田焼、碁石などの生活雑貨で、貝殻などとともに大量に見つかった。外郭内の東側で確認されていた「基壇建物」とよばれる大規模な石造りの遺跡から出土した。

 これらの発掘により、当時としては高価な陶磁や碁石を使う人物が城内で生活し、その住まいの基礎がしっかりした石造りであることなどが推測できる。薩摩侵攻後も同城で身分の高い人が何らかの目的を持って滞在していた可能性があるという。

 琉球史が専門の琉球大学の高良倉吉教授は「侵攻後も城が何らかの形で使われていたことは文献で断片的に推測できていたが、その証拠が出土したことは大きな意義がある。磁器などの出土品、外郭城壁の全体像の判明の二つとも画期的な発見だ」と高く評価した。

 同村教委文化財係の玉城靖氏は「今帰仁に配置されていた監守が首里に引き揚げた時期とも重なる。従来は集落にいたとされる監守が城内で生活していたのだろう」とみている。

 同村教委は今後も、同城跡の発掘調査と整備を進める方針だ。今回発見された遺跡は整備され公開されるほか、出土品の一部は同城跡に隣接する村歴史文化センターで公開する予定。

 29日には現地説明会を開き、調査結果を報告。市内外から約70人が参加した。



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琉球新報の新聞記事
posted by gusukutarou at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 琉球・沖縄関係の新聞記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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