2013年11月03日

今帰仁グスクの祭祀をおこなった今帰仁ノロと供のかねノロ

今帰仁ノロ殿内火の神の祠
今帰仁ノロ殿内火の神の祠

今帰仁グスクで、民間の祭祀をおこなったのが、今帰仁ノロと供のかねノロでした。二人のノロの「火の神の祠(ほこら)」が、今帰仁グスクのすぐ近くにあります。


火の神の祠は、そこに屋敷があった場所ですから、二人のノロは今帰仁グスクのすぐ近くに住んでいました。今は、木々に囲まれた静かな場所で、拝みする人々だけが訪れる拝所になっています。

今帰仁ノロは、今帰仁ムラ、親泊ムラ、志慶真ムラの3つのムラの祭祀をおこないました。3つのムラは、今帰仁グスクを囲むように存在したムラで、城下町だったのでしょう。水や食糧の調達など、グスクに関わる仕事をしたムラと思われます。

今帰仁ノロはお供のノロを必要としたようで、「供のかね」ノロが補佐役として、共に祭祀をおこないました。今帰仁ノロの祭祀の職務がそれだけ重要だったわけです。

供のかねノロ殿内火の神の祠
供のかねノロ殿内火の神の祠、季節が来るとショウキズイセンが咲く。

一方、琉球国の祭祀をおこなう阿応理屋恵(あおりやえ)ノロも、今帰仁グスク直下に住んで、国の祭祀をおこなっていました。

ところが、薩摩郡による琉球侵攻で今帰仁グスクは焼かれ、阿応理屋恵ノロは監守と共に首里へ移転します(1665年)。その後は、今帰仁ノロが、阿応理屋恵ノロの代りに国の祭祀をおこなったとされています。薩摩郡の侵攻によって、今帰仁グスクの祭祀が混乱したという、少し複雑な結果になったのです。

琉球侵攻の結果、今帰仁グスクの城下町は3つのムラとも、海沿いに集落ごと移転しましたが、今帰仁ノロと供のかねノロも、現在の今泊集落へ移転しています。

下の画像は、今帰仁ノロと供のかねの、祠の中のようす。今帰仁ノロの祠の中は、3基の香炉が、供のかねは、1個の香炉が置かれている。

今帰仁ノロ殿内火の神の祠の中には、香炉が3基置かれている。
今帰仁ノロ殿内火の神の祠の中には、香炉が3基置かれている。

供のかねノロ火の神の祠の中、香炉が1つ置かれている。
供のかねノロ火の神の祠の中、香炉が1つ置かれている。

下の画像は、修復前の今帰仁ノロと供のかねノロ火の神の祠。今帰仁ノロはかわら葺きで、供のかねノロは茅(かや)葺き。かなり老朽化しているのがわかる。現在の祠は、コンクリート壁になりセメン瓦が葺かれている。

修復前の今帰仁ノロ火の神の祠、かわらが葺かれている。
修復前の今帰仁ノロ火の神の祠、かわらが葺かれている。

修復前の供のかねノロ火の神の祠、屋根は茅葺き。
修復前の供のかねノロ火の神の祠、屋根は茅葺き。

なお、正式名称は「今帰仁ノロ殿内火の神の祠」「供のかねノロ殿内火の神の祠」で、「殿内」は「とのうち」ではなく「どぅんち」です。「殿内」とは、位の高い人に対する敬称で、その屋敷も指します。


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ガイドと歩く今帰仁城跡: 琉球の時代に城主が拝んだ火の神は、今も参拝者が絶えません



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posted by gusukutarou at 16:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 周辺史跡を歩く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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