2007年04月09日

今帰仁城を滅ぼしたのは?

武家屋敷のあった志慶真門郭の城壁
武士たちが寝起きした志慶真門郭(しじまじょうかく)の城壁

今帰仁城は1422年(一説には1416年)中山の尚巴志(しょうはし)王によって、滅ぼされました。そのとき今帰仁城の王は攀安知(はんあんち)でした。攀安知王は武勇にすぐれているが、人望はあまりなく、今帰仁城側の北部の按司(あじ)たちが尚巴志に味方したようです。

尚巴志の軍勢は3日間、今帰仁城を攻めたのですが、どうしても攻め込むことができません。まさに、難攻不落の城だったのですね。作戦を変更した尚巴志は攀安知王の家臣、本部平原(もとぶていはら)に使者をおくり、わいろをつかませたのです。
裏切った本部平原は攀安知王をだまして、城外に連れ出し、そのすきに尚巴志の軍勢は今帰仁城に攻め込んだのです。

それにしても、伝承には攀安知王と本部平原がとても悪く書かれていますね。ふたりは本当に悪人だったのでしょうか?

志慶真門(しじまもん)跡、崩れている
本部平原(もとぶていはら)が護っていた裏門、志慶真門(しじまもん)跡。

posted by gusukutarou at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 城内案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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