2014年03月23日

薩摩入り後も監守は今帰仁グスク内に住んでいた

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前回投稿したガイドと歩く今帰仁城跡: 監守とその一族が移り住んだ御殿(うどぅん)屋敷跡と井戸(クビリガー)で、監守とその一族が、今帰仁グスクを出て、移り住んだ屋敷をご紹介しました。


今回の投稿は、それとは矛盾するような内容です。

上の画像は、復元された高官の住居跡です。高官といえば、首里から派遣された監守(かんしゅ)のことで、首里の王族です。

第二監守5世、向克祉(しょうかつし)のとき、今帰仁グスクは薩摩軍の襲来によって焼き討ちにされ、向克祉は、薩摩入りの翌日死亡しました。1609年の出来事です。(向は尚の意で、しょうと読む。尚の文字は直系の1世しか使うことを許されなかったため、2世以降は向の文字を使った。)

監守6世縄祖または7世従憲は、焼かれた今帰仁グスクを出て、お膝元の今泊集落へ下りて住んでいた。それが前回投稿した御殿(うどぅん)屋敷です。

上の画像の高官の住居跡は、1600年の中頃に使われたことが、発掘調査の陶磁器の年代測定で判明しました。ですから、薩摩入りの後も、監守は今帰仁グスク内に住んでいたことになります。

復元直後の高官住居跡
復元直後の高官住居跡

琉球新報の記事、高官住居跡の発掘調査報告
琉球新報に掲載された高官住居跡の発掘調査報告 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-183547-storytopic-1.html


ブログ内の関連記事:ガイドと歩く今帰仁城跡: 監守とその一族が移り住んだ御殿(うどぅん)屋敷跡と井戸(クビリガー)
ガイドと歩く今帰仁城跡: 今帰仁グスク直下のムラは、格子状集落に生まれ変わった



グスクと按司〈下〉―日本の中世前期と琉球古代 (シリーズ沖縄史を読み解く)

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by ヨメレバ
タグ:監守
posted by gusukutarou at 20:40| Comment(0) | 城内案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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