2014年05月26日

難攻不落といわれた今帰仁グスクが、中山の勢力に滅ぼされた理由は?

今帰仁グスクの城壁、鉄壁の守りを誇った


難攻不落といわれた今帰仁グスクが、中山の勢力に滅ぼされた理由は?誰でも知りたくなるのですが、「中山世鑑」に今帰仁グスクの滅亡が詳細に描かれています。



中山世鑑(ちゅうざんせいかん)は羽地朝秀(はねじちょうしゅう)によって書かれた琉球最初の歴史書。(1650年)
アマミク神が琉球を創造したことから始まり、尚巴志王が英雄として描かれ、碑文や神歌「おもろ」にも触れられていて、琉球人の考えや想いが垣間見える。しかし、神話伝承なども多く、正確な歴史の事実とは異なる。




以下は中山と今帰仁グスク(北山)の攻防の要点


中山の軍勢は3000人で、北部の按司たちは中山に味方していたという。いっぽう、迎え撃つ北山は少数ながら、一騎当千のつわものぞろい。昼夜3日に及ぶ攻撃でも衰えず、攻め手のほうが疲弊していった。

そこで、今帰仁グスクの地勢をよく知っている羽地(はねじ)按司が、「南西の方角は険しいので守備兵が手薄だから精鋭20人を忍び込ませ隙をみて火を放ちときの声を揚げさせよ、それを合図に攻め込むのだ。」
(羽地按司は現名護市羽地地方の領主)
思惑どおり、険しい南西側は守備兵がいなかったので、精鋭部隊は忍び込み火を放った。

こうして、中山の全軍が攻め込んだので北山の兵は四散し、北山王は「イベも、イベにおわす神も供に冥土に旅立とう」と切腹し、千代金丸という刀でイベの霊石を切り裂いて、刀は志慶真川に投げ込んだ。



イベとは、聖域である御嶽(うたき)の中心で、神が天下るところ。石や古木がある場合もあります。今帰仁グスクの御嶽のイベには大石がありますが、北山王が切り裂いた霊石は今は存在しません。昭和のいつごろか失われたそうです。

滅んだ北山王が守り神として奉った御嶽



ブログ内の関連記事:ガイドと歩く今帰仁城跡: 志慶真乙樽の歌碑と北山騒動



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posted by gusukutarou at 10:01| Comment(0) | 城内案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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