2014年07月06日

今帰仁グスクから与論島が見えた一日

今帰仁グスクから東シナ海を望む


今帰仁グスクから与論島が、しばらくぶりで見えました。見えるほど近い島ですから、今帰仁グスクと関わりがありそうです。

調べてみると、やはりありました。
伝承ですが、15世紀初め、当時今帰仁グスクの城主だった山北王怕尼芝(はにし)の二男(王舅:おーしゃん)が、与論島に渡り世の主となり、与論グスクを築いた。

これも伝承ですが、尚真王の次男尚朝栄が、世の主として与論島へ渡りグスクを築いた。

山北(今帰仁グスク)は、1416年に中山(尚氏、首里)に滅ぼされるので、与論島は首里の管轄になったと思われます。


実際に、与論島の人々はいくつかの系統に分かれるようです。
・三山の時代以前から島にいた人々(アマンチュ系)   
・北山の時代に島にやってきた一族(北山系)   
・三山統一後、首里王府から派遣された一族(中山系)   
・1611年以降、薩摩役人などの系統(薩摩系)   
・その他

この系統をみると、やはり与論島は、山北(今帰仁グスク)と首里(琉球)に大きく関わりがありそうです。

(この記事はホームページ「今帰仁グスク」にも投稿しました。)


参考資料:与論島と北山(琉球)



与論島―琉球の原風景が残る島

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posted by gusukutarou at 22:59| Comment(0) | 城内案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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