2014年07月21日

晴れた日に見える伊是名・伊平屋島は島尻(しまじり)郡つまり南部??

今帰仁グスクから伊是名・伊平屋島を望む
今帰仁グスクから伊是名・伊平屋島を望む。画像をクリックすると拡大します。

よく晴れた日は、今帰仁グスクから島々が見えます。伊是名島と伊平屋島です。この2つの島は近くにあるのに、島尻郡(しまじりぐん)つまり南部の住所なのです。今帰仁グスクは国頭郡(くにがみぐん)で北部です。

googleの地図でご覧いただくとわかります。伊是名島の上に沖縄県の文字が乗っていますが、拡大すると伊是名島が見えます。


伊是名村のホームページには、廃藩置県のときに那覇役所に併合、編入された、と記されています。
伊是名島のごあんない【島の魅力】 | 伊是名村役場

さらに歴史をさかのぼれば、伊是名島は第二尚氏の始祖である尚円王の出身地です。ですから、首里王府(首里城)が直接管轄した島となったのです。

こうして、現代沖縄となった今でも、伊是名島は島尻郡のままなのです。このあたりが、琉球沖縄の面白さでもあり、失われつつある琉球を探し出すのも興味深いです。


今帰仁グスクと首里との関わりは、密接なものがあります。山北王(さんほくおう)は中山(ちゅうざん)に滅ばされますが、15世紀初期に、首里から監守とよばれる管理人が派遣されます。それ以降、今帰仁グスクは首里の管理下に入り、監守が城主として君臨するのです。琉球王国の北の都として、運天港を近くに持つ北の玄関口として、今帰仁グスクは重要視されたわけです。

では、伊平屋島のほうは誰の出身地でしょうか?第一尚氏の始祖 尚巴志(しょうはし)王のおじいさんの出身地です。伊是名島と同様、伊平屋島も首里王府が直轄地として管理した島です。

ガイドの公式ホームページ「今帰仁グスク」にも同様の記事を投稿しています。
近くに見える伊是名・伊平屋島が島尻郡(南部)? - 今帰仁城跡と周辺遺跡


ブログ内の関連記事:ガイドと歩く今帰仁城跡: 薩摩入り後も監守は今帰仁グスク内に住んでいた
ガイドと歩く今帰仁城跡: 監守とその一族が移り住んだ御殿(うどぅん)屋敷跡と井戸(クビリガー)



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posted by gusukutarou at 12:48| Comment(0) | 城内案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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