山北と中山は宿敵ではなかったのでしょうか?さらに不思議なことには、進貢の品物は馬と硫黄ですが、硫黄の採れる硫黄鳥島は山北の領域にあります。中山も硫黄を進貢しているので、硫黄を山北だけが独占していたわけではなさそうです。
戦と交易は別ものだったのでしょうか?とても不思議に思われます。このような記事も掲載している山北王の時代のページには、明と冊封関係を結び、日本と交易した琉球国の姿が描かれています。
別冊モモト「世界遺産今帰仁城跡」の表紙は、深い渓谷側から難攻不落の城壁を空撮しています。
内容は、最新の今帰仁城跡の情報といえると思います。ガイドのお勧め5つ星です。

モモト別冊 今帰仁城跡 -