2007年05月11日

監守来歴碑記を読む(その7)

東側からみた城壁は威圧的
今帰仁グスクの城壁、やや東側からの眺め。当時の人々を威圧した?

まことに、ゆっくりですが、監守来歴碑記を読んでいます。

読み方
而して(しかして)康熙(こうき)四年 七世従憲(じゅうけん) 命を奉じて 宅を首里に移して、仍って(よって)北城の 旧跡典礼等の件を 掌る(つかさどる)

語句の解説
康熙(こうき)四年:1665年。1665年に監守は首里に帰ることになる。1609年に薩摩軍による琉球侵略がおこなわれ、今帰仁城は焼き討ちに合ったとされている。監守は城を出て、今帰仁ムラに住んだとされている。監守にとって、ムラ住まいはさぞ住みにくかっただろうと推測される。首里に帰れるように、王府に願いを出したとも考えられている。1665年にようやく、願いがかなったようだ。
七世従憲(じゅうけん):今帰仁城監守七代目
命を奉じて:首里王府の命により
宅を首里に移し:首里に引っ越した
北城:今帰仁城のこと、別名を北山城という。
旧跡典礼等の件を 掌る(つかさどる):今帰仁城での年中祭祀、宗教行事などのまつりごと。
首里に引越したけれど、年中祭祀などは今までどうりおこなった。職務は果たしたのですぞ、と言いたげですね。
posted by gusukutarou at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 監守来歴碑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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