2011年07月13日

御内原(うーちばる)から東シナ海を望む

今帰仁城跡の御内原(うーちばる)から、東シナ海が望めます。空が広いのは沖縄ならではのながめで、夏は雲のすがたが美しく、いつまでも見ていたいほど。木陰にはいれば涼しいので、まさに至福のとき。

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伊是名島、伊平屋島が正面に見える


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沖縄島の最北端、辺戸岬。手前の小島は古宇利島。


ラベル:御内原
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2010年04月22日

テッポウユリが開花 志慶真門郭

今帰仁城跡のガイドでつくる「学ぶ会」のホームページができました。
「今帰仁グスク」 http://nakijingusuku.com
私のブログをはるかに超える内容です。一度、ご覧くださいませ。


志慶真門郭にテッポウユリが開花しています。
今帰仁城内に咲くテッポウユリは、在来種と園芸種が混じっています。

写真のユリは園芸種で、ボランティアガイドが2008年に植えたものです。続きを読む
ラベル:テッポウユリ
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2009年05月27日

外郭の城壁が修復された今帰仁城跡

今帰仁城跡、外郭の城壁が一部修復されました。同時に、芝生が張られて、大隅の城壁も緑に照らされてきれいに見えます。

外郭は大隅の城壁より外側の広い部分で、王に仕える家臣の住んでいた場所と考えられます。続きを読む
ラベル:外郭
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2007年12月11日

グスク内にウタキがあるのは何故?

第一の御嶽、テンチジと呼ばれる。
第一の御嶽、テンチジアマチジ。

今帰仁城に御嶽(うたき)が2ヵ所あります。御嶽は琉球の神が天下る所とされています。
なぜ、グスク内に御嶽があるのでしょう?
また、御嶽はどのようにしてできたか?あるいは、発生したのでしょう?

「なきじん研究」15号を読んでいたら、明確に説明されていました。
今帰仁ぐすくの前側と後ろ側にムラがありました。なきじんムラとしげまムラです。ムラびとはムラの近くの、小高いところに、御嶽をつくります。今帰仁グスクのある小高い山全体が御嶽であったのです。

やがて、按司(あじ=力のある有力者)が出現します。按司は小高い山を囲い込み、グスクを構築します。その際、御嶽も取り込みます。御嶽を取り込んで、その山をねじろにするなんて、按司とは、よほど力のある者だったのでしょう。

こうして、ムラ→ウタキ→グスクの順序で出来た、と考えられます。

参考:「なきじん研究」15号。今帰仁村歴史文化センター館長の仲原弘哲著、今帰仁村教育委員会発行。

第二の御嶽、ソイツギと呼ばれる。
第二の御嶽、ソイツギ。

ラベル:御嶽
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2007年04月20日

水に縁のあるカラウカー

カラウカーは山頂にありながら水をたたえていたのでしょうか?
女官が髪を洗ったと伝えられるカラウカー

今帰仁城は山の上に造られていますが、水に縁のある名前のついたところがあります。そのひとつが「カラウカー」です。「カー」は井戸や湧き水をあらわす言葉ですから、カラウカーには水があったと考えられるのですが、標高100メートルちかい山の上です。ほんとうに水があったのでしょうか?言い伝えによれば、カラウカーはいつも水をたたえていて、城に仕える女官たちが髪を洗った、というのです。今帰仁城の不思議のひとつですね。

カラウカーは大きな岩盤でできていて、岩盤の層をつたって水がしみだしてくる、と考えることもできますが、女性の髪を洗うほど水が豊富に湧き出していた、でしょうか?

 

カラウカーを歴史文化センターの館長さんに聞いてみました。当時は、木もたくさん生えていて、水が豊富だったので、岩盤の割れ目を伝って、水が常にたまっていた。とのお話でした。水の量で、占いをしたり、雨乞いの祈願をしたそうです。そういうわけで、カラウカーには水 があった、と言えるようです。

カラウカーは後に拝所となり、香炉が置かれて、現在も拝む場所になっています。火の神に対して、カラウカーを水の神と呼ぶことがあるようです。

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2007年04月18日

城壁は古生代の石灰岩

アンモナイトの化石が見つかる古生代石灰岩
古生代石灰岩にひそむアンモナイトの化石、発見!

今帰仁城の城壁は古生代石灰岩という岩石を積んであります。古生代の名のとおり、アンモナイトの化石が見つかるのです。アンモナイトはイカやタコの仲間ですが、殻をもっていて、億単位の昔に生息したと考えられています。

古生代石灰岩は非常に硬いので、加工ができません。それで、そのまま積んでいくわけです。これを野面積みといいます。石積みの方法では原始的といえますね。ところが、この積みかたで高さ8メートルまで積み上げるのですから、りっぱな築城技術です。

写真をご覧いただくと、四角い石が目に付くと思います。このあたりの岩盤は今帰仁層といって、横に層ができています。そのため、石を割ると四角い石がとれるのです。城造りに、もってこいの場所だったのですね。この石にまつわる伝説が「北谷(ちゃたん)なーちらー」です。次回ご紹介します。

野面積みの城壁、石は横に並ぶ
城壁は野面積みの技法で造られ、石は横に並んでいる。

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2007年04月16日

水に縁のあるカーザフ

カーザフは水に関係が?
カーザフと呼ばれる郭、水があったかもしれない?

今帰仁城には水に縁のあるところがいくつかあります。カーザフもその一つです。「カー」は湧き水や井戸などを表します。カーザフは水が湧いたところ、といえそうですが、残念ながらよくわかっていません。

カーザフを見るには、平郎門をはいってすぐ、右にある階段を登ると見ることができます。深い谷になっていて、岩盤が露出しています。
ここに水が湧いていたら、城内の水事情はよかったと思いますが、伝承によると、水は反対側の志慶真川まで降りて、汲み上げたということです。急な崖を水をかついで登るのは、かなりの重労働だったにちがいありませんね。

カーザフから目を転じて参道を見る
カーザフの見える場所から参道を望む。

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2007年04月15日

つわものどもの夢、志慶真門郭

2006年夏に修復が終わった城壁
2006年夏に修復が終わった城壁、見上げる姿が雄大。

志慶真門郭(しじまじょうかく)は今帰仁城の他の郭とは大きく趣が異なり、格別な印象があります。かなり険しい道を降りるので、ガイドするときは、お客さんに降りるかどうか伺ってから案内しています。
2006年の夏までは、城壁の修復作業のため、はいることができませんでした。現在は一部が仮設通路となっています。

険しい道を下ると、視界がひらけ東シナ海にうかぶ、島々が見えるのです。手前が伊是名島で、第二尚氏王統の始祖となった金丸の出身地です。
志慶真門郭は武家屋敷があったとされ、3棟の住居跡が残っています。意外と小さい住居なので、王の腹心の武士だけが寝起きしていたと思われます。
現在は壊れている、志慶真門を護っていたという武士、本部平原(もとぶていはら)もここにいたのでしょう?本部平原は攀安知王を裏切ったことで、汚名を着せられていますが、史実かどうかはよくわかりません。

志慶真川に面した城壁を見ると、きれいに修復されていますが、一部分ですがオリジナルの城壁がそのまま残っているところがあります。約500年以上も崩れず残っていたとは、驚きです。

城壁の上は武者走りという通路がもうけられ、番兵が歩けるようになっています。志慶真川の谷に面した部分に、矢をよけて身を隠すための胸壁が積まれています。険しい谷側であっても、丁寧な城づくりがなされているのですね。

オリジナルの城壁が残っている
志慶真川に面した城壁には約500年前のオリジナル部分が残っている。

2006年の城壁修復のようす主郭から撮影
城壁の修復工事、2006年夏、石には番号がつけられている。

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大隅の洞窟!

抜け道として使われた大隅の洞窟
大隅の洞窟、抜け道として使われたらしい。今は、はいることはできない。

今帰仁城の大隅の郭に洞窟があります。(「郭:かく」とは石垣でかこまれた部分、今帰仁城は10の郭で構成されている)秘密の抜け道になっていて志慶真川に通じているようです。尚巴志王と攀安知王の戦いのとき、ここから逃れるものがいたのでしょうか?
残念ながら、土砂が流れ込んでいて危険なので、はいることはできませんが、洞窟と聞くと覗いてみたくなりますね。

洞窟は大隅の郭の奥のほうにあります。大隅の郭(沖縄読みで、うーしみ)は平郎門をはいって、すぐ左手にあります。かなり広く、岩盤がとびだしたところもあり、荒々しい感じがします。ここから、馬の骨がたくさん出土したので、馬場か馬の飼育場所として使われたと考えられています。

岩盤の露出した大隅の郭
岩盤が露出したところ、大隅の郭は起伏が多い。

大隅の城壁
大隅の城壁、外側から見る形とはかなり違うので比べてみると面白い。

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2007年04月14日

火の神(ひぬかん)とは?

火の神の祠、拝む人が絶えない
主郭にある火の神の祠、拝む人が絶えない。

今帰仁城の主郭、一番高いところ、に小さな祠があります。「火の神」と表示があり、「?」と思うお客さんも多いと思います。建物が一つも残っていない今帰仁城内に、ただひとつの建物です。屋根はりっぱな赤瓦でできています。

お客さんをガイドしていると、この祠(ほこら)で拝みする姿をよく見かけます。おばぁ、おじぃだけでなく、若い女性が扉を開け、なかにはいって拝んでいたりします。こんなとき、拝みのじゃまをしないように、ガイドは声を小さくして、祠から離れて説明をします。
世界遺産で拝んでいる、とお客さんは思うかもしれませんが、拝む人にとってはこどものころから拝んできた、琉球の神様です。ガイドなどは新参者でしかありませんね。

今帰仁城の「火の神」は監守時代のものと考えられています。監守とは代々の尚王が派遣した役人です。しかも、王家の子息が監守になっていますから、この火の神は王家につながりが深いのです。
拝んでいたおばぁがお客さんに質問されて、拝むのは「ゆかりがあるから」と答えていました。
特に王家の子孫でなくても、琉球王家の神は、ゆかり(縁)がある、のですね。

火の神は「ひぬかん」と呼びます。現在の祠(ほこら)は監守時代の建物跡から移築したもの。本来火の神は屋敷にあるものなので、火の神の祠があったら、そこは屋敷跡と考えていいようです。今帰仁城下に「ノロの火の神」があるが、そこはノロの屋敷があったと考えられる。
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