2011年09月27日

門中の今帰仁上り

門中の今帰仁上りが始まっています。旧盆が終わると、11月ころまで毎週日曜日は、「〇〇門中」と表示された観光バスが停まり、ビンシーとよばれる拝み道具の入った木箱やお供えの風呂敷包みを持って降りてきます。

写真のように全員そろって祈りをささげます。祈願するところは、今帰仁城内で5〜6ヵ所あります。下の写真はクバの御嶽の遥拝所。遥拝所とは、遠くから目的地に向かって祈願するための場所で、お通しとも言われます。

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門中とは、男系の親族、いわば父親の親戚です。沖縄語で「むんちゅう」といいます。大きな門中は50人〜100人にもなります。
ここが、日本一般の親戚づきあいと違うところで、巨大な組織?という感じです。門中内の結びつきは強いものがあります。

門中の墓は大きなものです。門中のメンバーがみな入る墓ですから、大きくなるわけです。沖縄の墓は大きいので驚きますが、門中の墓と聞けば納得できますね。

今帰仁上りを沖縄語で「なきじんぬぶい」といいます。今帰仁上りは聖地巡拝の行事で、1800年代に始まったとされています。今帰仁城周辺を20ヵ所くらい一日がかりで参拝して回ります。御嶽、火の神、拝所、ゆかりのある墓などです。

今帰仁城の城主の子孫か、つながりのある人々ですか?と見学のお客様から質問されることがあります。直接つながりのある門中もありますが、かならずしもそうではありません。

今帰仁上りに来ていたあるおじぃはこう言いました。「ご先祖はみなひとつだからね。」つまり、このおじぃのルーツは、琉球の今帰仁グスク城主や、首里の王様の先祖と同じということです。いささか極端のようですが、おじぃはそう信じているのです。

先祖の供養を非常に大切にする、沖縄のひとびとならではの宗教観です。まさに世界遺産ものです。琉球・沖縄の宗教は、世界の宗教のなかでも独特なもので特異性があると、世界遺産登録委員会は認めたのですから。

ちなみに、入城料金は必要なのかというと、拝み特別料金が今帰仁村の規定で定められていて、受付で用紙に門中名と人数を記入してから支払うようになっています。
ラベル:門中 今帰仁上り
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2011年09月06日

ノロは霊力を持った人だったのか?

小説「テンペスト」を読んで、沖縄に来る方が増えているようです。今帰仁城をご案内していると、お客様から「テンペスト」の話題が出ることがよくあります。テンペストにはノロ(神官)が登場し、非常に霊力が高い人物として描かれています。そこは小説、そうでないと面白くなりません。

実際のノロは霊力を持っていたのでしょうか?
ノロは首里王府が辞令書を発行して、任命していました。辞令書がしっかり残っているのです。
ということは、ノロは公務員!だったのです。

したがって、給与も与えられました。米や麦などが給与です。これも辞令書に記されています。
ノロは世襲だったのでしょうか?世襲だったようです。

とすると、ノロと霊力は直接の関係はなさそうです。中には、霊力の高いノロも存在したとは考えられますが。


今帰仁城跡周辺のムラの祭祀を管轄したノロは、今帰仁ノロです。いまも健在です。
しかし、どの地域でも、高齢化がすすみ、後継者がいなければノロは途絶えていきます。琉球をしのばせるノロがいなくなるのは残念ですが、、。

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今帰仁ノロ。数年前に撮影。



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今帰仁城内で行なわれた祭祀。今は行なわれていない。




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ラベル:ノロ 今帰仁ノロ
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2011年07月27日

セジとは?

「セジ」?聞いたことがありますか?
琉球の時代、霊力をセジといいました。セジとは霊力のことです。

琉球にはノロがいました。集落の祭祀や琉球王国の祭祀をつかさどる神職がノロですが、ノロが持っているとされた霊力をセジと呼んだのです。

古琉球の時代には、ノロのセジによって敵を撃退できる、とほんとうに信じられていました。
今帰仁城の近く、運天港付近には薩摩軍襲来のとき、粟のかゆを流したとされる坂道があります。かゆを流したからといって、敵が火傷するほどではありませんね。ですから、かゆは呪術的な意味なのです。ノロがのろいをかけて敵を撃退するのと同じことです。

古琉球は、武力とノロのセジは同等の力があると信じられたのです。
しかし、ノロのセジは薩摩軍の武力にはかなわなかったわけです。琉球軍は薩摩軍に敗退しました。
(薩摩支配がはじまる1609年までを、古琉球の時代と呼んでいます。)

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今帰仁城内にある御嶽(うたき)。かつてはノロが祈願し、いまはさまざまなひとが拝む。ユタも祈願しに来る。


このセジは古琉球の原始的信仰にもとづいています。
沖縄では、サーダカ生まれ、といって生まれつき霊力がある人がいます。このサーダカやユタの霊力と「セジ」はどうやら別物と考えた方がよさそうです。ノロがユタに引き継がれたのではありませんから、セジがサーダカに引き継がれたのではないのです。

古琉球の史跡めぐりをするときに、また、琉球・沖縄を考えるときに、両者の区別は、はっきりさせたほうがよいと思います。
なぜ沖縄にサーダカのひとが多いのか、今のところ不明です。

参考文献:琉日戦争一六〇九―島津氏の琉球侵攻
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ラベル:セジ
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2011年07月14日

子宝洞窟「プトゥキノイッピャ」へ行くには

子宝洞窟「プトゥキノイッピャ」は今帰仁城跡近くのクバの御嶽にあります。(クバの御嶽という場合は、御嶽の中心部ではなく山全体をさして呼んでいます。)しかし、入り口はクバの御嶽の上り口とは違うので注意が必要です。クバの御嶽入り口より50mほど先に子宝洞窟「プトゥキノイッピャ」入り口があります。

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クバの御嶽の案内板。

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プトゥキノイッピャの手書き看板、仏のイッぺー入口と書かれている。電柱が目印。

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登り口。草が茂っていることもあるので、足元に注意。


自動車はもちろん入れないので、大駐車場に止めると安全です。クバの御嶽入り口付近は狭い道です。写真の目立たない看板?を探したらそこが上り口です。5〜6分登ると、左側に小さな洞窟があります。香炉が置かれているのでそれとわかりますが、見落とすこともあるので、ゆっくりと探します。体をかがめてようやく中にはいれるほどの大きさです。

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クバの御嶽全景。今帰仁城跡駐車場から見たところ。
ラベル:子宝洞窟
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2010年10月04日

今帰仁上り(なきじんのぼり)

今帰仁上りと呼ばれる聖地巡拝の行事がおこなわれています。毎年、9月から11月にかけておこなわれます。
今帰仁上りは個人ではなく、門中という親族でおこなう行事です。門中とは男系の親族のことで、沖縄独特の結びつきです。

小さい門中なら小型バスですが、大きい門中になると100人くらいにもなります。大型バス2台をチャーターして、お供え、酒、線香などの拝み用具を調えて、今帰仁城へ向かいます。途中、20箇所くらい拝所や御嶽(うたき)、歴史的な墓などを参拝します。

門中の発生は琉球王国時代にさかのぼります。もとは、王家に仕える士族階級からはじまり、やがて、農民階級へと広まっていきました。1800年代に始まっていたといわれますから、200年以上の歴史があることになります。

写真は今帰仁城内の拝所を拝む門中のひとびとです。
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こちらの記事もどうぞ:今帰仁グスク 御嶽で拝む

ラベル:今帰仁上り 門中
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2009年09月02日

旧盆が終わると海神祭が始まる

沖縄のお盆は旧盆です。旧暦7月13日〜7月15日(2009年は新暦では9月1日〜9月3日にあたる)です。

商店は旧盆セールをおこない、旧盆の買い物客で活気づきます。お中元のような贈り物を、仏壇のある本家に届けるため、自動車が行きかい混雑します。

こうしてあわただしく始まるのですが、第一日目はウンケーつまりお迎え。ご先祖をお迎えする日。第二日目はご先祖とともにすごす。第三日目はウークイつまりお送り。ご先祖をお送りする日。と3日間続きます。
県外に出ていた人々は、必ず里帰りします。

エイサーは3日間夜になると、広場や道路で行われ、各字(あざ)ごとにエイサーの太鼓と歌が聞こえます。


この旧盆が明けると、今帰仁城にノロの姿が見られます。





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2009年03月03日

サカンケーで拝む

サカンケーはクバの御嶽(うたき)で祈願した後、帰り道に、いま祈願をしてきたクバの御嶽をのぞみ見て、拝むところです。遥拝所といいます。

クバの御嶽またはクボー御嶽と呼ばれる、この御嶽は琉球七御嶽のひとつ。琉球をつくった神が天下るとされています。

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2009年02月05日

桜の下で拝む

桜まつりでにぎわう今帰仁城跡ですが、外郭にある古宇利殿内火の神(フィドゥンチひぬかん)で拝むひとの姿がありました。

古宇利殿内火の神は古宇利島の方々が拝むところで、古宇利島の方向をむいています。


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2007年10月27日

火の神(ひぬかん)を拝む

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ほこらの中で火の神を拝む。外は修学旅行生でにぎわっている。

今帰仁城の主郭(しゅかく)に火の神のほこらがあります。火の神は「ひぬかん」と呼びます。
火の神を拝む方は絶えることがありません。

火の神は現代沖縄の家庭にもあり、台所の一角に、香炉が置かれています。これに線香を立てて拝むのです。1日(ついたち)、15日に拝むようですが、ときには、忘れてしまうことがあります。なにか不都合が起きたりすると、「あっ、ウガン不足(拝みが足りない)だった。」と言ってあわてて拝む、なんてこともあるようですが、、、、。

今帰仁城の火の神を拝むのは、年配者ばかりではなく、若いひとも年配者にまじって拝みます。現代沖縄の神信仰は廃れることなく受け継がれていきます。

今帰仁城の火の神は監守時代のものと考えられています。監守(かんしゅ)とは役職名で、首里の王様の次男三男が監守として派遣されたのです。首里王家と深いかかわりのある火の神ですから、格調が高いと、言えるのではないでしょうか?

主郭は一番高いところにあり(標高100メートル)、俗称で本丸ともいいます。
posted by gusukutarou at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 拝む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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