2015年04月03日

今帰仁城跡の前段階のグスク「シイナグスク」へ行きました

今帰仁城跡の前段階だったとされるシイナグスクへ行きました。きれいに草刈されているので、今がチャンスです。あとひと月もすれば、再び草に覆われてしまいます。

シイナグスクの表示

写真の表示は、乙羽(オッパ)トンネルと呉我山トンネルの間のもの。反対側の湧川方向に行く道路にも表示があります。

シイナグスクは右手の山にある

右側の山手にシイナグスクがあります。

シイナグスク入口はパイン畑

入口にはパイン畑が。周辺は農業地帯で、菊栽培やマンゴーのビニールハウスが並んでいます。

シイナグスクへ入るところ

いよいよグスクへと入ります。

シイナグスクには奇岩がごつごつしている

奇岩がごつごつと露出しています。石灰岩のカルスト地形に土が乗った感じです。

シイナグスクの古井戸

古井戸があり、水は枯れています。伝承によると、日照りのときに水が枯れたので築城を止め、今帰仁グスクへ移ったとあります。

石垣が積まれている

石垣が積まれ、石積みのグスクであることがわかります。

シイナグスクの由来説明がある

説明版です。

文化財撮影シイナグスクから羽地内海の眺望_R.jpg

シイナグスクから羽地内海の眺望です(今帰仁村文化財係り撮影)。今回は木が茂っていて羽地内海を見ることはできませんでした。
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2014年12月01日

桜の季節の史跡散策ツアー 参加者募集

桜の季節の史跡めぐりツアー


「桜の季節にガイドとめぐる今帰仁の史跡」ツアーの参加者を募集します。

◎コースはA、B、Cの3コースあり、ベテランのガイドがご案内します。

◎参加料金はお一人500円と通常の半額。

◎各コースとも定員20名。定員に達し次第締め切ります。

お申し込みは
電話/FAX : 0980-56-4406
メール : manabukai@nakijingusuku.com


詳しい内容は以下をご覧ください。


■日時 
2015年(平成27年)1月23日(金)/ 24日(土)/ 25日(日)
午後2:00 集合・受付
午後4:30 終了・解散

■コースと特徴 
Aコース・ハンタ道と周辺遺跡 
世界遺産に登録された今帰仁城跡周辺に広がる、集落遺跡や祭祀施設を訪ねるトレッキングツアー

Bコース・今泊集落の散策
今帰仁グスクへの登城道ハンタ道から、今帰仁城と関係の深い今泊の伝統的集落を訪ねるツアー

Cコース・運天集落と古墓
琉球の歴史と深い関わりをもつ運天港とその集落、そして周辺にある歴史的な古墓を巡るツアー

■参加費
おひとり 各日 500円(保険料等含む)

■お申込方法
必要事項<希望日・希望コース、氏名、住所、電話、参加人数>を事務局まで<電話・メール・FAX>にてお申し込み下さい。

■お申込先
今帰仁グスクを学ぶ会
[TEL/FAX] 0980-56-4406
[当日連絡用] 080-6490-8250
[メール] manabukai@nakijingusuku.com
[住所] 〒905-0428 沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊5101番地 今帰仁村グスク交流センター内


■注意事項
○雨天の場合 【中止】。
○どのコースも、4kmほど歩きます。 歩き慣れた靴でご参加下さい。
○Bコース・Cコースは、お客様の車での移動となります。
 詳しくはスタッフまで。
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2014年08月23日

今帰仁の隣ムラ具志堅のシニグ

シニグの舞い


今帰仁グスクの城下町今泊(いまどまり)集落では、海神祭(うんじゃみ)はすでに見られず、シニグも見られません。ところが、隣ムラの具志堅(ぐしけん)では、シニグが保存会によって保存され、毎年行われています。

見学してきましたので、画像をご紹介します。

シニグ舞いの入場
シニグ舞いの入場です。お宮と呼ばれる聖域に向かって祈ります。

年配者のおばあが先頭で唄と太鼓を
年配者のおばあたちが先頭に、唄と太鼓を。唄は口伝えで若い人へ伝えられるのでしょう。われわれには、歌の内容は聞き取れません。

振舞われたお神酒
お神酒が振舞われます。米だけで作るそうです。甘酒に少し似ているような甘酸っぱい味ですが、アルコール発酵はしていないようです。昔は乙女に米を噛ませて、醸したとされています。

円陣を組んで踊ります
シニグは円陣を組んで踊り、全部で13曲が披露されました。

大きなノボリ旗には神徳霊妙と書かれている
大きなノボリ旗には神徳霊妙と書かれています。階段の上にお宮と呼ばれる聖域があり、お宮から今帰仁グスクへ向かって遥拝します。具志堅集落も今帰仁グスクの城下にあり、具志堅ウーニー(本部ウーニー)と呼ばれる舟型があります。

本部町具志堅のシニグを見ました - 今帰仁城跡と周辺遺跡にも投稿しています。


ブログ内の関連記事:ガイドと歩く今帰仁城跡: 今帰仁グスクの海神祭を再現してみました。第2日目 城大折目(グスクウイミ)
ガイドと歩く今帰仁城跡: 今帰仁グスクの海神祭(うんじゃみ)を再現してみました



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2014年04月15日

なぜ、運天港に源為朝上陸の碑が建っているのか?

運天港を見下ろす高台に建つ源為朝上陸碑
りっぱな台座が目をひく源為朝上陸碑。

源為朝が琉球に渡来したという伝説があります。もちろん、為朝の渡来は伝説にすぎないのですが、なぜ、運天港に為朝上陸碑が建っているのでしょう?

この碑は「源為朝公上陸之趾」と題字があり、題字の右側には、「元帥伯爵東郷平八郎書」と刻まれています。
さらに、台座を見ると、「国頭郡教育部会発起」とあります。

台座には国頭郡教育部会と刻まれている
台座に刻まれた国頭郡教育部会が建立した。

国頭郡とは沖縄県北部です。その北部の教育部会がこの碑を建てています。大正11年(1922年)の建立です。為朝が運を天にまかせて運天港に漂着し、為朝の子が初代琉球の王になったとの伝説が基になっているようです。運を天にまかせて漂着したので、運天港と名付けられた、というのは後から付け加えたものです。

国頭郡教育部会は、何のためにこの碑を建てたのでしょう?国頭郡教育部会は、戦前の沖縄で忠君愛国の思想を沖縄の人々に浸透させる目的で、社会教育活動をおこなっていました。

沖縄県民は皇民であるという日琉同祖論の権威付けのために、当時の英雄だった東郷平八郎に題字を依頼したと思われます。

沖縄が日本の一部であるという主張は、戦後の日本への復帰運動へと発展していきますが、近代沖縄にとって、現実的な選択肢はこれ以外にありませんでした。琉球独立論はありましたが、現実的ではなかったのです。支配される国だった沖縄の側から、積極的に祖国への復帰をめざして、為朝上陸碑は建てられたのでした。

この碑の石材は、1874年に国頭沖で座礁したイギリス船のバラスト(船底の重り)が使われているとされ、歴史を物語る石材でもあります。

為朝の手形が残る洞窟
ティラガマと呼ばれる洞窟内に、為朝の手形が残っている。

上陸碑の近くには、為朝の指の跡が付いている手形があります。これも、もちろん本物であるはずがなく、鍾乳石の窪みなのですが、為朝が一時、身を潜めていた洞窟とされています。洞窟は運天地区の人々の拝所となっています。


参考:東郷平八郎と為朝伝説(1)〜(3): 目からウロコの琉球・沖縄史

関連記事:運天集落と古墓(Cコース)を歩いてみました - 今帰仁城跡と周辺遺跡


ブログ内の関連記事:ガイドと歩く今帰仁城跡: 運天港の不思議
ガイドと歩く今帰仁城跡: 運天港の古墓から見つかった厨子がめに僧侶のレリーフが



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2014年03月18日

監守とその一族が移り住んだ御殿(うどぅん)屋敷跡と井戸(クビリガー)

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御殿(うどぅん)屋敷跡

今泊集落には、御殿(うどぅん)屋敷跡と呼ばれる場所があります。側には井戸があり、クビリガーと呼ばれています。そこには、監守とその一族が移り住んだとされています。(今泊史による)

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クビリガー別名ウドゥンガーは監守が日常使う水をとるために掘られた井戸

今帰仁グスクは、1609年に薩摩軍の襲来により焼き討ちにされました。当時、首里から派遣された監守(かんしゅ)が、今帰仁グスクの城主として琉球北部全体を統治していました。

監守5世の克祉(かつし)は、薩摩入りのその時、28歳で亡くなりました。監守6世の縄祖が後を継ぎ58歳で亡くなると、7世の従憲は27歳で監守を継ぎ、39〜48歳まで運天の番所に勤務しました。
7世従憲はその後、首里に引き揚げたので、治める人が不在となった今帰仁グスクは廃城となります。

監守6世と7世のいずれかが御殿屋敷に移り住んだことになります。


ブログ内の関連記事:ガイドと歩く今帰仁城跡: 今帰仁グスク直下のムラは、格子状集落に生まれ変わった



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2014年02月26日

今帰仁グスク直下のムラは、格子状集落に生まれ変わった

今泊集落の案内板、集落内は格子状になっている。
今泊集落の案内板、集落内は格子状になっている。

今帰仁グスク直下のムラが、格子状の集落に生まれ変りました。

昔のムラは今帰仁ムラと呼び、グスクのすぐ下にありました。現在のムラは今泊集落と呼びグスクから離れて海沿いにあります。

今泊集落はみごとな格子状になっていて、沖縄県内でこんにち希少価値のある存在です。

グスクの時代に、今帰仁ムラはグスクの城下町としての役割を果たしていました。

模型で見ると、グスクの手前にかつての集落の石垣が再現されています。実際の石垣もすぐ近くに見えますが、昔の集落は格子状ではありません。

今帰仁グスクと集落が模型になっている
模型で見るグスクと今帰仁ムラ

現在の今泊集落は海のそばにあり、グスクとは離れています。ムラ全体が移転したのです。集落全体が移動するのをムラ移動と呼んでいます。

移転の際に、計画的に集落を造ったため、今泊集落は格子状に道が通っています。道の交差点は、わずかにずれていて、石敢當が設置されています。石敢當は魔をよけるためですが、風水の考えに基づいているとされています。(写真の交差点は石敢當の代わりに、子どもの飛び出し注意の表示板がある)

今泊集落内の交差点
今泊集落内の交差点、写真の交差点は石敢當の代わりに子どもの飛び出し注意の表示があります。


ブログ内の関連記事:ガイドと歩く今帰仁城跡: 3つあるノロ殿内火の神の祠(ほこら)
ガイドと歩く今帰仁城跡: ミームングスクは物見台?



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2014年02月13日

運天港の不思議

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運天港。中央に見えるアーチ状の橋がワルミ大橋。

運天港は、琉球の時代から天然の良港とされてきました。運天の水路を近くで見ると、水泳の出来る人なら泳いで対岸まで渡れるほどの近さにありながら、水深は20mもあるという不思議な海峡です。

一昨年開通したワルミ大橋は「ワルミ」という地名から名付けられました。ワルミとは割れ目の意味で、運天の海峡は大陸が割れて出来たことを示しています。

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運天港付近の地図(クリックで拡大します)

地図を見ると、本島側と屋我地島との間は、初めはつながっていたことがうかがえます。運天港と海峡は、大陸が分かれたために出来た港で、まさに天然の良港だったのです。

今帰仁グスクが14世紀から15世紀にかけて大いに栄えたのは、運天港のおかげです。大型船はリーフ(サンゴの岩礁)を乗り越えることができないため、港がなければ停泊できないからです。

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古宇利大橋、屋我地島側。

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古宇利大橋、古宇利島側。

歴史的にも、さまざまな人たちが上陸した港でもあります。
 
12世紀初めに、源為朝が「運は天にあり」と漂着した場所が、運天港との伝承があります。

「海東諸国記」(1471年)に、雲見と書かれています。「うんけん」は「うんてん」なのでしょう。

1609年には、薩摩軍3000人が70〜80隻の船に分乗して、古宇利島から運天港のあたりに停泊したと言われています。

1816年のバジル・ホール、1846年にフランスの艦船や、ペリーの艦隊が上陸したと記録が残されています。

参考書:沖縄の地域研究 運天港


ブログ内の関連記事:ガイドと歩く今帰仁城跡: 運天港の古墓から見つかった厨子がめに僧侶のレリーフが



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2014年02月03日

運天港の古墓から見つかった厨子がめに僧侶のレリーフが

百按司墓
百按司墓は多くの監守貴族が葬られているという。

運天港には古墓がたくさんあり、運天の古墓群と呼ばれています。これらの古墓を代表するのが百按司(むむじゃな)墓と大北(うーにし)墓です。

百按司墓だから、百人の按司が葬られている、というのではなく大勢の按司という意味です。この大勢の按司とは、第一尚氏時代の監守たち(第一監守)ではないかと推測されています。「中山世譜(ちゅうざんせいふ)」という書物に「監守貴族」と記されているからです。

大北墓は、第二監守とその一族が葬られていて、墓地に建っている碑文が証明しています。

これら両墓のすぐ傍から、厨子がめの破片が採取されています。破片なのは、墓を移すときに、これまで使っていた厨子がめを割って廃棄する慣わしがあるためとのことです。

厨子がめの断片、僧侶がレリーフされている

四角い厨子がめ、僧侶の姿が浮き彫りにされている
厨子がめに僧侶の姿が浮き彫りに細工されている。今帰仁村文化財調査報告書第33集「運天古墓群T」より

運天古墓群の発掘調査報告書を見ていたら、厨子がめに僧侶の姿を発見しました。厨子がめに、僧侶の姿がレリーフに細工されているのです。

ここから、埋葬と僧侶の関係がおおいにありそうです。もちろん日本では、葬儀と僧侶は深い関係にあるのですが、仏教国ではない琉球の埋葬にも僧侶が関わっていたと思われるのです。

厨子がめの製造年代はいつごろか?ですが、発掘調査記録によると、17世紀から18世紀の近世期の製造とのことです。

百按司墓自体の成立年代は古琉球まで遡る可能性は高いが、一方で大北墓の被葬者は1570年頃〜1687年頃の人物が葬られており、近世期にかけて継続的に墓群が利用され続けた事をうかがい知ることができる。

また、大北墓周辺で回収された厨子甕(かめ)も、製造年代についてこれまでの研究を参考にすると、17世紀から18世紀と近世全般に及んでいる。(今帰仁村文化財調査報告書第33集「運天古墓群T」より)


大北墓
大北墓には、今帰仁グスクの城主だった第二監守とその一族が葬られている。

現代沖縄では、仏教の陰は非常に薄いのですが、琉球近世期には埋葬とおおいに関係があったと考えてよさそうです。

グスクのガイドとも縁のある歴史家、上里隆史氏は、仏教も神道も琉球に根付かなかったのではなく、琉球の宗教に同化したのだと言っていますが、同化していく一過程だったのかもしれません。

いずれにしても、運天の古墓群で採取された厨子がめに、僧侶のレリーフがあったので、いろいろ考えさせられました。


ブログ内の関連記事:ガイドと歩く今帰仁城跡: クバの御嶽は荘厳で首里城とのかかわりも深い
ガイドと歩く今帰仁城跡: ノロの唱えるミセゼル(神託)とはどんなもの?



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2013年11月24日

ワンコインツアー「桜の季節にガイドとめぐる今帰仁の史跡」参加者を募集しています

2014年ツアー.jpg


ワンコインツアー「桜の季節にガイドとめぐる今帰仁の史跡」も、毎年恒例となりました。参加者を募集しています。


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2013年11月03日

今帰仁グスクの祭祀をおこなった今帰仁ノロと供のかねノロ

今帰仁ノロ殿内火の神の祠
今帰仁ノロ殿内火の神の祠

今帰仁グスクで、民間の祭祀をおこなったのが、今帰仁ノロと供のかねノロでした。二人のノロの「火の神の祠(ほこら)」が、今帰仁グスクのすぐ近くにあります。


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